私という人間について

あまりにも社会に不向きなわたくし、おおふじという人間について少し書かせていただこうと思います。

まず性格診断の結果は御存知の通り、INFの民ということで、INFJ-INFPを行ったり来たりしております。エニアグラムについては別の機会に掘り下げたいと思いますが5w4、サブタイプ9w1と、簡単に説明するとこちらも理想主義の社会不適合者に一番多いタイプだそうで、完全に正解です。

ちなみに適職診断をすると、大抵の場所では「芸術家」が出てきます。御存知の通り、これは社会不適合者の烙印です。ですが私はそれを更に越えた「家庭人」をどこかのサイトで出してしまったことがあります。社会にすら出ないで良いからねと、優しく諭されているのでしょうか(笑)

では、そんな私がいつから社会に適応出来ないと気づいたのかという話です。自分の中ではっきりと感じたのは高校生になったときのことでした。

入学初日、登校してからの事をほとんど覚えていません。校舎に入って周りは怖いものばかりだったのでしょう、全てに怯えていて、場所、人間、生活様式の全てが大きく変化したことに対して受け入れることが出来なかったのか、ほんの四日か五日で登校できなくなりました。

別に誰にいじめられたとか、そんな事は無いのです。ただただ混乱して、パニックになっていました。

あと入学した最初の頃、体育教師に「お前の名前、すぐに退学するやつにいたんだ」みたいな意味のわからない事を言われたのも覚えています。それに対して私は「じゃあもう行かねぇよ」ではなく、心のどこかで「やっぱりそうなんだ」みたいな納得感を持っていたのを今でも覚えています。

入って数日の生徒にそんな事を言う教師いるか?と思う方もいるかもしれませんが、本当なんですよ。私が登校しなくなって数日、担任が面談をしようと持ちかけてくれました。母親も交えて三者面談です。その時にこの話をした後、その体育教師が呼び出されて、相手もそう言ったのを覚えていたようで、確かに謝ってくれました。とは言え私もいっぱいいっぱいでしたし、完全にその体育教師の言葉が当たっていたので大して話もせずという感じでしたが(笑)

ともかく、全てが私にとって負担となった高校生活の始まりは最悪でした。登校はするものの、そこで学校には入らずという生活が続きます。

そんなある日、性格のきつい叔母に捕まります。典型的な江戸っ子といいますか、そこで私は「胃がちぎれても学校へ行け」「私は娘の胃に穴が空いてもそうしてきた」と誇らしげに語り、挙句の果てには母親を呼び出して「お前の育て方は間違っている」などなど。

これで私は母親のためにも学校へ行かなくてはならなくなりました。

でもやっぱり無理でした。地獄です。当時の考えを鮮明に覚えているわけではありませんが、よく電車の踏切を見ていた覚えはあります。

校門の前までは行けるのですが、入ることは出来ず。

そうして家に返るわけにもいかず、登校用の自転車でひたすら無心で進み続けた結果、飲まず食わずで数時間が経過し、普通の学生が授業をして昼食を食べ、授業を終えるまでの時間、ほとんど止まること無く自転車で動き続けていたのです。気づけば市を一つまたぎ、自宅から学校へ向かう方向と真逆にある市のど真ん中。今でもその時のことは忘れられません。一瞬のように感じられた7時間で、そこでやっと自分が全然知らない場所に居ることに気が付きました。

家の場所もわからなくなり、流石に母親に電話。もう学校へ行かなくていいとお達しが出ました。例の叔母に話は伝わったのかわかりませんが、私も母親ももうやつに会うまいと心に決めます。

それからの日々はひたすら図書館に通い詰めました。そこで映画のアーカイブを見る日々が続き、通信&定時の学校に転入します。そこでは辛いことなどほとんど無くて、穏やかに過ごすことが出来、友達も作れて、卒業から十年近く、まだ仲良く一緒にゲームで遊ぶ仲です。

私は高校入学でおかしくなってしまった。当時はそう思っていました。

ですが母親に言わせると、実はそうではなかったようなのです。

私は転勤族で、父親の仕事の関係で幼少期から何度か転勤を繰り返しています。その最初の転勤で、既に兆候はあったとか。

それがですね。毎日のように遊んでいた公園では穏やかに遊んでいたはずの私が、転勤して初めて新しい公園に行った際に起こった事なのですが。

当時はまだ上手に喋れなかった時期だと言います。確か2歳位だったとか。その頃に、小さかった私は転勤先の新しい公園で大暴れをしたらしいのです。遊んでいた別の子供達は当然、いつも遊んでいた公園にいた子供達と違います。

話したこともない、何が起きたわけでもないにも関わらず、その公園で遊ぶことになった私は、いの一番にその子達に向かって砂を投げつけ、母親がすぐに私をつれてそこを立ち去ったのだとか。

それまで遊んでいた公園では人気者だったそうなんです。公園で遊ぶ子供達とみんな仲良く出来て、遊んでいれば誰かが寄ってくるような子供だったおおふじさん。転勤先の公園で180度違う子になったんだとか。

母親は一体何が起きたのかわからなかったと話しますが、私自身の新しい場所や環境の変化に対する拒否反応はこの頃から変わっていなかったのです。

これに関しては性格云々という話しでは無く、明らかに私の持った性質でしょう。

そんな適応能力に難有りだった私がやっと働き口に見つかり、かと思ったら会社が潰れそうだので働けなくなり、また職探し。世間の厳しさもあってズタボロでございます。

でも理想を求めるINFの民は常に希望を持っています。私もその民なので、精神的には割と楽しく生きています。

まだまだ色々あったりしますが、私個人が如何に社会不適合なのかは以上の通りでした。