私がどういう育ち方をしてきたか

こんなの書いてどうするんだろうなと思いつつ、自分の分析や、他のINFの民の方が共感してくださったり、ぷぎゃーと笑って頂いたりしてもらえばと、記事の肥やしに簡単にまとめてみようと思います。

まず幼少期ですが、別記事でも書きましたが、父親の仕事の関係で転勤族で、幼稚園では一年ごとに、小学校では二年生と五年生のときに転校しています。心の負担は小さくなかったのか、五年生の転校時には一番の友だちと別れてしまうこともあり、やや自暴自棄のようになっていた覚えもあります。

小学校では特に問題なく、友達とゲームで遊ぶ普通の小学生という感じだったと思います。

中学校では少し病気を患いました。心の病気ですね。いわゆる厨二病というやつです。俺TUEEE!感を持ってしまい、とても調子に乗った中学二年生でした。今思い返すと恥ずかしくて仕方がありません。スクールカースト上位の人と一緒にいたこともあって、本当に勘違いした時期でした。

それが中三に上がって、少し変動がありました。学校に行くとお腹を壊す、というルーチンが組まれました。なぜかと言うとですね、お恥ずかしながら好きな女の子が出来まして、その子に告白する前に避けられるようになったんですよね。相談した友達が悪かったのか、それとも自分があまりに愚かだったからなのかは今でもわかりませんが、冷たい目で避けられるようになり、女性恐怖症を患いました。多分その子が怖くなって拒否反応が出ていたのだと思います。

それから静かになりました。はっちゃけ中二時代が嘘のようです。そうして高校へ。そこでの事は前記事にも書いたとおりですが、自前の適応能力によって登校できなくなりました。

卒業後は大学も行かず、作家を目指すようになりました。芽は出ていませんが、文章を書くのが好きだということに気づいたようです。みんなの人気者だと錯覚していたのはいつのことだったのか。

それから両親の雲行きが怪しくなっていきます。最終的に殺人未遂のような事になり、家族は父親とそれ以外に分かれることになります。

で、バイトだけじゃなくもう少し働かなくてはなと、働いていたのですが、そこが潰れかけて私は退職、新たな職探しに疲れてブログを始めた次第です。

生い立ちですね。育ち方とは少し違いました。

両親は優しい人ではありましたが、中学から高校までの父親は大嫌いでした。

その頃の父親は頭の固いタイプといいますか、中学時は勉強をしろと言うだけ言ってあとは放置のタイプといいますか、こちらの事を考えないで言いたいことだけを言って父親ヅラをしているような感じ。お金を稼いでいる俺が一番偉いんだぞ、という感じです。身にならない説教をされるので鬱陶しく仕方がありませんでした。

そして高校生、最初の不登校になってしまった時もこちらの事を考えてくれず、とにかく学校へ行けの一点張り。ここまで自分に理解がないのかと絶望したもので、本当に嫌いでした。

そんな時期の心の支えは高校受験でお世話になった小さな塾の塾長先生と、毎日自分に付き添ってくれた母親でした。

母親は父親の振る舞いがDVだと理解しないままにも尽くすタイプの人で、私にもずっと付き添ってくれて、学校へ行けない日々でも毎日お弁当を作ってくれました。食べることは出来ませんでしたが。

塾の先生も親身に新しい学校を探してくれたりと、今でも感謝が尽きません。

そうして父親が嫌いなまま高校生活を送っていましたが、いつからだったか私の好きだったゲームを父親がプレイするようになり、そこから改めて父親との交流が始まります。

父親とは学校での事を話したりはせず、同じゲームをプレイしたりと友達のような関係に変わっていき、最終的には私自身の印象悪くありませんでした。父親もあまり強い人ではなく、年齢を重ねた後で転職した時に私にそう接し方を変えたのだったと思います。転職によって父親は単身赴任をすることになります。

ですが父親は母親には冷たく、厳しい人でした。いつでも母親に対して高圧的でしたが、いつしか単身赴任から帰る度に怒鳴るような人に変わっていき、私も妹も多大なストレスを受けることになります。私は父が帰ってくる事を知ると心臓が鷲掴みされるような感覚と、嫌な鼓動に冷や汗を流すようになり、父親の帰ってくる時だけトイレが近くなるという生理反応を見せるようになりました。

そしてエスカレートしていく父親の言動に、母親は味覚障害を患い、胃もおかしくして、家族関係がどんどん壊れていきました。しかし父親は私にはやはり友達関係で接してくると言うか、息子ということで言葉の無い理解を持っていたのでしょう。

そんな中でついに崩壊が起きました。何がきっかけだったのかはわすれましたが、父親がブチギレ、母親に暴力を振るい、殺してやると発言します。武器を持ち出して、私は羽交い締めにしてそれを止めました。

二世帯住宅に住んでいたため父方の母を呼び出して仲介してもらいますが、その祖母は「言ってるだけで何もしないから」とまともに取り合わず、結局警察が介入して家族は分かれることになりました。祖母はほとんど子育て(私の父の世話)に参加してこなかった人でした。

説明がどうしても断片的になってしまうのでかけている情報は多いのですが、とにかくとんとん拍子に事態は進んでいき、その後長い時間をかけて離婚となります。

私は一連の流れで生活が一変したことにも耐えられず、二ヶ月ほど何も出来ない人間になりました。

望まない状態で生活が変わるとそうなってしまうのは私の性質のようです。

あとは何を書けば良いのか。頭の中の直接的な出力なので整理がつかなくなっています。同情されたい感じになってしまいましたね。

私は環境に馴染むのに時間がかかるのです。しかも基本的に否応なく変えられた環境になんとか合わせてきた、という状況です。だから自分から環境を変化させたいなど考えないし、そういうものを望まないにも関わらず、就職をして接する人も生活様式を一変しなくてはならない、というのがもう嫌なのでしょう。

ずっと一人で文章だけ書いていられたらどんなに良いでしょうか。