INFPとINFJという「社会不適合者」のレッテルに反論する

INFPやINFJとは……当ブログでは勝手に「INFの民」と呼称させて頂いている、いわゆる「社会不適合者気質」の性格です。

この性格タイプには様々な「社会と反りが合わない」部分があります。

しかし社会に適合しづらい、というだけで、反社会的な人間はあまりいない、優しい性格を持っています。

さて、そんな優しいINFの民は、どうして「社会不適合者」なのでしょうか。

ここでは様々なINFの民への社会不適合者のレッテルに対し、前向きな反論を考えてみることにしましょう。

その1、INFの民は引きこもりがち。

私もそうです、高校生時代はみんなと同じようには、学校に行く事ができませんでした。この時点でもう社会に適応出来ていないことはおわかり頂けると思います。

しかし、学校に行かないという事は、その時間を別のことに割けるということです。

INFの民は、自己探求の方法を生まれたときから持っています。何か感情的な刺激を受けた時に自分の内面に深みが生まれていきます。それは感動する気持ちから流れてくることが多いもので、ストレスのない空間でこそ、十分な吸収力を発揮します。

こうして引きこもる間に自分の好きな物と向き合うことで、INFの民はより人間として進化します。それも普通に学校に行っていては気づけないことに気づき、そこで深まる理解は「表層」ではなく「深層」に向かいます。これはINFの民だからこそ得た素晴らしい「真理」に近づけるという能力です。

引きこもるのは、他の人が感じられない事を感じて、自分の内面を磨き、事象を吟味するためなのです。

その2、何を考えているのわからない変わり者。

近づきがたい雰囲気を持ち、ノリが悪い。陽キャには距離を取られるというものですね。そのくせ妙にこだわりを持っていたり、思い通りに行かないと不機嫌になったり疲れたり。

要は変わり者と思われてしまう事。

これはINFの民というよりも内向的な人にあてはまるでしょうか。

しかし、実際には考えることが多すぎて相手の意に沿うまでに時間がかかるのです。とりあえず乗っとけばいいや!という思考はINFの民にはありません。相手がどういう意図で今の発言をしたのか?その言葉に付随してどんな表情でいるのか?声色はどうだったか?様々な事を気にします。これはその1で述べた「真理」に近づく力の現れです。

だからこそ、変わり者でいいのです。変わり者じゃなくなるときは思考を捨てた時。なればこそ変わり者で。あなたの持つ思考力を捨てるのはもったいない。深く考え、他人に追随出来ない答えを出すからこそのものなのです。

その3、繊細で弱々しい。

なんでもかんでも気にしがちです。送ったメールやラインの内容を、送った後で思い返して「もう少しこうすればよかった」なんてしょっちゅうあります。

誰かのちょっとした言葉でも重く受け止め、他の人よりもずっとダメージを受けます。悪いところまで行くと、遠くで笑う声すら気になってしまう人も居るでしょう。こんな風にアンテナを張っていると、外に出るだけでも体力を使い、人混みを歩くだけで重いストレスがのしかかります。

気にしなければいい、なんて言葉、INFの民には効きません。感度の高い性格こそINFの民の特徴なのですから。

このINFの民が外に出ると、大抵の人よりも疲れを感じやすく、それを回避しようとすると外に出たくない、ということになりますね。だからこそ弱々しくも見られてしまうのです。

でもどうでしょう、繊細である性格は、変化を感じ取る鋭さに置き換えることが出来るはずです。

今の時代に本当の意味での人間的な弱さは無い、というのが私の持論です。言葉としてわかりやすいので強弱を使うことはありますが。

ではその上で繊細であることに付随した弱々しさについての反論を。

繊細であることは鋭いということです。多くの人が通り過ぎてしまうだけの事柄に気がつくことが出来るのは、この繊細さがある人だけです。

弱々しさは、肯定感の無さから出てきます。「多くの人がただ通り過ぎてしまうだけの事柄にいちいち反応する変人」は、当然どんな場面に置いてもはみ出しものです。そうして追いやられたINFの民たちは次第に肯定感を失い、自分に自信がなくなるから弱々しくなるのです。

稀にこの肯定感を得たまま大人になっている方もいる方もいますが、それは一握りです。だから私達は、自分は肯定しないといけません。

それが出来るのも、また想像力と発想力に優れたINFの民の持ったパワーのはずです。だっていろんなことへの反論が思いつくでしょう?

他の人では気づけないポイントを鋭く抉る必殺技を、INFの民は持っているのです。弱々しく見えるのはそれまでの自分に合わない生活で体力が常にすり減っているから。

自分の体力が回復できるように自分を肯定すればきっと、繊細さは自分の武器に、そして弱々しいとされた時の自分の記憶は武器を振るう自分の防具となって、きっとすごく強い人になれるはずです。

我々の弱いとされる面、探せばまだまだ出てきます。また思いついたら別に記事に起こしたいところですが、それら全てに反論出来ます。

私達INFの民の人は追いやられて力を発揮できる人は一握りになってはいますが、本来目指す生き方は繊細で表現豊かなロックの道です。

誰かに社会不適合だと思われたところで気にすることはありません。上等です。私達は多くの事が出来ないかもしれませんが、逆に多くの人が出来ないことが出来るのです。

さて、”すごい”のはどっちでしょうか……?多くの人が出来ることを出来る事?それとも、多くの人が出来ないことが出来ること?

社会不適合者と言われたら、自信を持っていいって思えるでしょう?