INFという性格は、何故疲れやすいのかという一例
- 2019.10.24
- INFの民について
今回は私のような自己分析、自己探求に耽りやすいINFPやINFJといった性格タイプを持つ”INFの民”が、他の性格と違って人生や社会に疲労を感じやすい、という話について、私の母の話を交えながら再確認してみようとおもいます。
まず、私の母はDVを受けたことによって父親と離婚をしています。ここの関係性は典型的なものであり、支配したい父、抗えない母という構図だったものが、最後の1年で爆発した、というような形です。ここの詳しい話についてはまたいずれ機会があればという感じでしょうか。
さて、そんな母親ですが、現在は専業主婦をやめ(結婚時代は父に働くなと言われ、専業主婦でした)、パートに出て社会貢献しております。
私とは違い、明るく社交的な母ですが、不思議なことに別れた父親と同じような性格のシルバーパートのおじいさんに目をつけられてしまいました。理不尽に怒られ、関わる時間はシフト的に10分程度であることから我慢しているものの、母本人は「何故同じような人間から目をつけられるのだろう」と不思議がっています。
社会にはいろいろな人がいますから、似たような人に出くわす可能性は当然あります。が、そのおじいさんは父親と同じような支配をしようとするような発言をしてくると言います。
それに対して母親の取った行動はどうでしょう、一度学習しているはずにも関わらず、父親に対して取っていた行動と同じものでした。
果たしてこれで同タイプの人間からの行動が変わるでしょうか?
変わるわけがありません。当時服従を選んだ母親は、ここで再び服従するような態度を見せてしまったのです。
私は母に対して「それじゃあダメだよ」とアドバイスをしたのですが、それでも母はどうしたらいいのかわからないと言います。
約20年間の夫婦生活によって、同タイプの支配タイプの人間の行動は把握済みのはずです。
また、母はパートに出てもう1年以上が経過し、そのおじいさんの性質も知れているはずなのです。
であれば、私達のようなINFの民にとってみれば……「対処法はいくらでもありそうだな」と感じられませんか?
前例を体感しており、その結末も知っている状態で、再び同じような人に出会った時、私達はパターンと相手の様子を伺うことで、違う手段を考えつくことが出来るはずです。
しかし、母がそのおじいさんに対して思いつくのは、実際には言うことも出来ない悪口と、誰か助けてくれないかなという発想のみなのです。つまり思考が自分の中で止まっていることを表しています。
INFの民は相手の言葉一つ一つ、声音や表情から深い感情まで読み取ることに長けていますので、多少厄介な人が来たところで、相手が冷静であればそこから相手の機嫌を引っ張り込み、穏便に済ませる方法を本能的に導き出すのです。
これはINFの民にとっては通常運転に過ぎません。これを日常の中で常に行っているのです。だから疲れやすく、人と距離を取りたがります。
しかし、そうではない多くのタイプにはそんな事は出来ないのです。経験と知識があろうと、いざ自分の事となっては実践も出来ません。
INFの民と、その他の性格タイプには理不尽な怒りを受けた場合の思考に大きな違いがあります。
通常であれば……
理不尽な怒りを受ける→ムカつく!なんで?こう言い返してやりたい!
しかしINFの民は
理不尽な怒りを受ける→ムカつくしショック……なんで?こう言い返してやりたい。思い当たるフシは?相手の怒った本質の意味は?本当に怒ったのか、それとも八つ当たりだったのか?八つ当たりだった場合は共感を示せば良いだろう、本当に怒られたのならあの人の場合は素直に謝ればいいなor行動で示せばいいな。
などなど、相手のパターンを見ながら、そこに相手の感情を察して当てはめ、それに対応して都度都度行動を変え、穏便に済まそうとするのがINFの民なのです。これだけでも人より思考の割き方が大変なことはわかりますよね。疲れます。
また、このように分析が出来ない事象に遭遇した場合、INFの民は探求を開始します。自分の性格が何故こんなに面倒くさいのか?なんて思い始めたら、まず性格診断を通ることでしょう。
しかし母のような性格の場合は違います。私は何度か性格診断を勧めた事があります。自分のタイプを知ることで強みと弱みを知ることが出来るためです。
ですが母はそこに割く10分の診断時間にも首を縦には振らず、自分がダメな人間だと言うのみです。そうやって自分一人で解決出来ないと自分を責めるのがDVを受けてしまう典型的な性格になってしまっているのですが、それを指摘して尚、自分を変えようとしたり、そのきっかけや新しい考えを取り込もうとしません。
しかし、私達はその点でオープンだと言えます。新しい情報を取り入れ、自分の中で吟味した上で消化します。それが出来るのは我々の強みですから、好き嫌いをはっきりと自分の中で認識することが出来ます。
それがまた疲れるきっかけにもなります。無意識の間にも常に情報を取り入れようと、私達は見えるもの、聞こえるものに常に気を払っています。ここには持ち前の不安症も重なって、取り入れないと怖い、取り入れるけど知らないものは怖い、となります。
社会の中で生きることは、私達のような人間には大変です。特に生粋のINFの民であればあるほど相手の心理の認知が深く、そして疲れやすいのです。
それを理解されることはめったにありません。あなたの感じる「疲れた」という感情の疲労の度合いはあなただけのものでありますから。
そして理解されないこともまた、疲れます。様々なモノに距離を取るきっかけになるでしょう。
しかしその疲れやすさ、つまり感度の高さこそが私達の強みなのです。
何故疲れてしまうのか、そこに迫っていくことこそ、私達の生きる意味と言っても過言ではありません。
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