ベーシックインカムに対する世間の認識がINFへの認識

ベーシックインカムというものをご存知でしょうか。

人が生活するためのお金を、政府が支給するという制度です。世の中が便利になっていけばやがて支給されるものだろうとされています。

しかしこの現代、それが不可能な世の中ではないのです。外国の一部の国ではテストとして施行された国もあります。

これがしっかり行き渡れば人は労働から解放されて、より自分らしい生活が送れるようになります。

日本でも一時、話題になったことがありました。

しかしこれがテストされた国も含め、ほとんどストレートに通ったことがありません。こんなに素晴らしい制度にもかかわらず、ほとんどの人が反対するのです。

制度として上がるくらいですから、システムとして出来ているはず。なのにもかかわらず反対する人が非常に多いのです。

大抵は『仕事をしなくなったらだらけるから』だとか『人らしくなくなる』というような事が言われます。

実際にテスト施行された地域では「生活がひとつ上のステージに進んだ」という結果が出ているにも関わらず、そんな意見が蔓延しています。日本もまた例外ではありません。

でもこれこそ、世間のINFの民への認識です。

だって時間が出来たらだらけますか? INFの民のほとんどはまず『だらける』なんて意見にならないと思います。ただでさえ時間が足りない人が多いはずですから。

わたしは文章を書くのが好きなので、誰かが楽しめる文章をかければいいなと、自由な時間を執筆に向けることでしょう。

音楽家は練習が出来ますし、ゲームが好きなら実況にチャレンジしたり、アニメや映画が好きならレビューや考察をしたりしたいと思いませんか?

仕事しかやることがない、帰ってきてもネットブラウジングして、ソシャゲして眠るだけというような人には、まずそういう生活が想像出来ないはずです。

INFの民、ひいては芸術家と揶揄的に認識されてしまう、現在の社会で変わり者だったり、爪弾きにされた人たち。

社会が姿を変えたときに、強くなるのはこういう人たちだと思っています。

しかしそうならないのは、やはり圧倒的大多数の「想像できない人たち」による言葉なんです。

世界はもっと住心地良く出来るはずなのに、そうなった後の自分が想像出来ない。みんなにとって良いことであっても、やっぱり変化は怖いことです。わたしもやり慣れないことをしようと思うだけでお腹が痛くなるし、眠れなくなります。

だからまだまだベーシックインカムが日本で実施されるには時間がかかるのでしょう。それは制度云々ではなく、多くの人の認識の上で拒否されるから。

我々INFの民を始め芸術家肌とされる人たちは、時間が出来たら『今は生産性がない』とされるようなことにガッツリ打ち込めるんです。

だってゲームをしても、ドラマを見ても、アニメを見ても本を読んでも音楽を聴いても、どこからだって自分の能力として吸収出来てしまうんですから、時間が生まれてやること全てが自分の糧になります。

あとはそれを咀嚼して出力する時間だけがあってくれれば、それだけで充実した人生になるんですよね。

それが認識されたときがベーシックインカムが実施される時、だと思っています。

日本でそんな日が来るのでしょうか。

十人十色という素敵な言葉が生まれても、認識が変わらなくては意味がないんです。

以上、やっぱり就職できないおおふじでした。