香川県はINFの民を殺す場所

にわかに賑わう香川県の「ゲーム制限条例」

頭のおかしい条例が持ち上がったものです。しかも可決目前だとか。

今の所努力義務、だとかなんとか言っていますがその辺は置いとくとして、その前提の頭が悪すぎます。

なんでも、ゲームをやると頭が悪くなるから、だとか。

さてさて、毒を吐きたくなってきました。

多分コレを決めた人、ゲームやらない人たちですよね。

おそらく本も対して読まない、映画もそんなに見ない、好きな女優が出てればドラマは見るかも、程度の人たちなのではないかなと思います。

今の時代、ゲームは新しい芸術です。本では作れない「ビジョン」を映画が実現しました。そして映画では不可能な「インタラクティブ性」をゲームが実現しました。

だからゲームって最新の芸術であり、同時にエンターテインメントなんです。

私が以前に勧めた「デス・ストランディング」に、おそらく香川の議員だかって人たちはなんの感情も示すことはないでしょう。

それにゲームが頭を悪くする、という根拠がとぼしすぎると思いませんか?

「頭が悪い」という言葉と「ゲーム」を結びつけるのって、古代人のバイアスかかりすぎていますよね。

だって、頭の悪い人にはクリア出来ないゲーム、たくさんあります。

努力が無いとクリアできないゲーム、たくさんあります。

私はゲームが大好きで、プレイステーションのトロフィーというシステムがあるのですが、これの取得率がかつて全国で80位くらいまで伸びて居たことがあります。

めちゃくちゃゲームやってたって事です。でも一応、私のIQは120以上あるそうですから、ゲームと頭の悪さを結びつかせるにはちょっと無理があると思いません?

それでですね。

タイトルどおり、何故INFの民を殺すのかについて話しましょう。

INFの民にとって、現実の人間とのコミュニケーションって疲れるんですよ。

もちろん避けるべきではないです、が。それでも数時間、近くに人がいる状態って好ましくないんです。ストレスになるので。

そんな時にゲームですよ。ゲームってインタラクティブなんです。能動的にキャラと接することが出来るんです。

ここでこう考える人がいると思います。「ゲームの中のキャラと”接する”って、ただのやばいヤツじゃん」と。

そう考える人って、人とのコミュニケーションを繊細に考えていない人で間違いありません。

INFの民の持ちやすい矛盾の一つに、他人が好きだけど面倒くさい、というものがあります。もちろん「嫌い・苦手」だけという気質の方もいるでしょうが、持ちやすいのは前者です。

だって理想が高いんですから。他人対して期待したいんです。相手がいい人だと期待したいんです。

でも現実はそうではありません、INFの民にとって、多くの他人は様々な意味で必要ない人になります。

そんな時にゲームってすごく心に支えになるんです。

一人プレイで、ドラマチックなゲームをプレイしてみてください、例えばラストオブアス、デス・ストランディング、デトロイト:ビカムヒューマン。

これらは全て「大多数の現実の人間」と接する以上に心の財産になります。だってINFの民は分析する能力が長けているから、仮想体験でも十二分に人間としての能力が上がるんです。

しかもリスクがありません。繊細なINFの民にとって、現実での人間との接し方ってリスクがあります。

例えば学校で変なことを言ったら? あいつおかしいぞ、といじめの対象になるかもしれません。それにいじめにあう子って、大抵歪みます。優しい子になる、なんて言葉を言ったやつがいますが、無責任なのもいいところです。

でもゲームで変な行動をしたらどうですか? 例えば仲間が殺せるなら殺してみる、なんてしてみてください、ゲームオーバーになるなり、プレイヤーに大きなデメリットが降りかかります。

ゲームって、取り返しがつくんですよ。仲間を殺した? 仲間が死んだ? その結果自分が不利になった? だったら仲間を守るために行動する、というのを自分で考えてプレイしないといけないものなんです。

ゲームは一人プレイだけではありません。友だちがいるなら、皆で大乱闘スマッシュブラザーズやフォートナイトを遊べばいいんです。友達と遊ぶことがどれだけ心に充実感を与えるかわかっているんでしょうか。

オンラインで、いつでも仲のいい友達と遊べるんです。いい時代じゃないですか。

さてさて、それではこんな文化を奪ったじじばばたちのメリットを確認してみましょう。

・親の武器が一つ増える

 →お手伝いしたらゲームの時間増やしてあげる、なんて釣り方が出来るようになる

・子どもたちを兵隊化出来る

 →今の子供は文字よりも映像などから情報を貰います。ネットで動画を見て、ゲームで遊ぶ世代です。その子達からどちらも奪うことで、より効率的にロボットとしての人間を生産可能です。これは日本社会に今減りつつある社会奴隷の量産に寄与します。

・仕事やってるように見せられる

 →「仕事やってる風」で実際はバカな事をやってるだけ、というのは日本社会の悪しき風習ですね。何かやってるように見せれば認められます。知ってます?香川県議会議員の海外視察(観光旅行ばっかり)してたという話。これが持ち上がってから突然言い出したんですよ「ゲームって悪くね」って。

ほら、「俺たち仕事してんだぜ」アピールに見えてきたでしょ。

と、もっと挙げたいところですが、何が言いたいかといえば3つ目ですよ。無能な働き者っていらんこと言うんです。香川のお偉いは完全にそれにしか見えない。

マスコミも昔からそうですが、アニメやゲームに対してヘイトを向けようとしてきますよね。

確かに、悪いことをする人がアニメやゲームを好むというのはあり得る話しですよ。それと同時に頭がいい人も好んでいるという事を報道しないから、頭の固い人は悪だと決めつけていますが。

私が言いたいのは、ゲームにハマるのって価値を感じるからなんですよ。ゲームで感動出来るし、達成感を得られるし「やってやった!」という実感を貰えるんです。

でも現実ってどうですか。多くの場合、嘘の方が強いでしょ? 虚勢張ってる人の方が評価されやすいんですよ。

じゃあゲームの世界ってどうですか?難しいゲームをクリア出来る人はしっかり腕を磨いた人だけです。対戦ゲームで勝てるのは、より経験を積んだ人だけ、そうですよね?

いくら虚勢を張っても、初期状態では中盤のボスすら倒せないんです。

だからゲームの世界って、いい意味で真実しか無いんです。プレイヤーがゲームから受け取るもの、経験って、全部真実なんですよ。

そしてそれがINFの民にとって心地いいんです。しかも受け取るものを自分の中で咀嚼して、より自分の糧に出来るから。

でも今、それが香川で抜き取られるようとしています。大人たちはその重大さに気づいてない。

自分の価値を認識出来る場所を、ゲームに見出す子だっているんです。

私はそうでした。例えば仲間たちがどんどん死んでいくゲームで、私は最後まで全員を守りきりました。それがどれだけ心を強くさせてくれたか。キャラクターは最後にありがとうと言って、プレイヤーに感謝してくれて、一番良いエンディングを見せてくれる。

現実でそんな事出来ません。

現実に価値が見いだせなくてゲームに行くのは子供が悪いのでしょうか。それともつまらない世界を作った大人が悪いのでしょうか。

人が好きになるものって、どこかに価値を見出すから好きになるんですよ。

それは当然、他人から見たら些細な価値だと思うかも知れません。

でも些細な価値って、それそう思う人だけの目線ですよね。

もしあなたがゲームを些細な物だと位置づけているとしたら、そのゲームをプレイしている人はあなたを些細な物だと位置づけているかもしれない。

そういう認識不足と、頭の悪いバイアスが「人の好きなものを奪う」に繋がっていくんです。

香川のINFの子供たちが世界の広さを知れますように。