今の時代に必要なのは”間違うこと”なのではないか

INFの民のなかなか理解されることがありません。性格であれ、生き方であれ「社会不適合者」「根性無し」の烙印が押されます。

それになんとか抗って頑張る人もいますが、そんな社会の目に疲れて引きこもる人もいます。

何故私達がそうなるかと言えば、社会に暗黙の了解的に「正解」があるからです。

学校で「十人十色」という言葉を習った人は多いのではないでしょうか。個性があっていい、という言葉ですね。

しかしどうでしょう、本当に個性が認められていると言えるでしょうか。答えはノーですね。

はっきりとノーなのに「個性が認められているじゃん」という人がいるとしたら、それは無個性に近い場所から見て「比較的個性がある」程度の遊びがあるから、という話です。

世間一般から見て、高校生は当たり前。そこから就職する人より大学へ行く人のほうが偉い。そのまま流れて就職できれば更に良し。

そしてここから溢れた人間は「駄目人間」……そんな風潮です。

でも、どうしても出来なかった人がいる。私も出来なかった人間です。

じゃあそんな、他の人が出来る”当たり前の事”ができない私達に価値はあるのでしょうか。

答えは当然YESですね。当たり前です。無いわけがない。

だって、間違いが修正されるのって「沢山の人が間違ってから」なんです。

例えば険しい山道で、すごく事故が起きやすい場所があるとします。何度も何度も、その場所では事故が起こる。そうしたらどうしますか? 当然手すりをつけるなり、安全策を講じることになりますよね。

現代社会においては、インターネットなどで簡単に正解”とされる”言葉を得られます。

例えばその山道の話であれば「ここは危険だ」と発信すれば、多くの人が知ることになるでしょう。だから正解って、ある意味大したこと無いんです。大多数の人が簡単に持っていられるものだから。

でも私達のような少数の間違いってどうですか? 誰にも理解されないかもしれないけど、逆に言えばだからこそ価値がある。

山道の話なら、私達は常に事故に遭い続けているようなものです。でもそれだけ敏感に「危ない場所」とか「事故になりそうな場所」を察知して、いち早く対策に移れる可能性があります。

わかりやすく事故、なんてネガティブなワードを取り扱っていますが、ポジティブなことにしたってそうです。

私達の繊細さって、絶対買われて良い物なんです。それは新しい境地に進む人だから。

だって事故って、動かなきゃ遭いませんよ。動くにしたって、前に通った人が切り開いた安全な道を進んでいりゃ遭いませんとも。

だから私達の”間違っている”とされる生き方って循環する社会の中では絶対に無いといけない部分なんですよ。

今、この世の中で在宅ワークの会社が増えているといいます。それについてわがままが言えるのって、もっと在宅ワークしたい人ですよね。

私は出社が必要な事以外全部在宅ワークでも良いと思うんです。前にやったデータの入力業務なんてその典型で、本当に出社する必要まるきりなかった。私は仕事が早く終わるタイプだったので、余った時間を潰すのが大変でしたし。家でならもっと効率よく、自由に出来ます。

だから時代が変わって、氾濫した”正解の強要”と”堅苦しさ”を打ち砕くのって、私達INFの民なんじゃないかなと。

とことん間違って、でも間違いを自分の中で認識しながら悩んで進むのがいいのかなと思った次第です。

(INFの民でこんなところに突っ込む人はいないと思いますが、間違いというのは反社会的な意味ではありませんからね、一応)