母の死から3ヶ月経った心境について

昨日はちょうど、そろそろ更新しようかなと思ったタイミングで回答を頂いて、ちょっとしたブログ編集のリハビリになりました。

というわけで、4月21日の「死にいい日」に亡くなった母ですが、もうこの21日で3ヶ月目となりました。

早いような遅いような。気持ち的にはかなり落ち着いてきました。もちろん波はあるのですが、明らかに自分の中でかつて感じた悲しさに線引が出来ていて、事あるごとに自分も終わらせてしまえたらと思っていた部分が、かなり冷静に考えられるようになってきました。

そういう部分が冷酷であるのかとも思いつつ、考えすぎてもう思考がとっちらかった上で、いくつかの視点で自分と母を俯瞰できている気もするところもあって、やっぱり私は頭が良いのだなと感じる部分でもあります(ツッコミ)

買い物一つでドヨンと落ち込んでいたのも、今は「仕方がないこと」なんて風に悲しさを箱に入れて考えることを、そこそこ出来るようになってきています。

本当に時薬というのはあるのだなと実感しています。あれほど色んな人、ブログや動画などに「悲しみは少しずつ落ち着いていく」なんてあったのが信じられず、絶対にありえないと思っていたのが、今はたしかにそうなんだと思えます。

お母さんはそんな私を見て「もっと悲しんでほしい」と思ったりするのかな、なんて自問したりもしますが、もしそうだったら私が死んだときにでも親孝行が足りなかったこと、病院にもっと早くつれていけばよかったこと、最期までお母さんの余命の話を伝えられなかったこと、全部まとめて謝ればいいかなと思えるようになりました。(前までは後悔に後悔を重ねて悲しくなるだけだったので、一応進歩なのです)

それと、数日前に少し不思議なこともありました。

ある日にお母さんの夢を見ました。買い物をしてる夢で、何を話していたかも覚えてないのですが、どこかのマーケット(見たこともない、屋外スーパーみたいなところ)で、久しぶりに帰ってきたお母さんと晩御飯の材料を買っていたんです。

私はお母さんが「久しぶりに帰ってきた」「お互いに話したいことがたくさんあって、ずっと話している」というのを承知の上だったんです。

補足ですが、母の闘病が”一応”済んだタイミングではよく買い物の付き添いをしていたので、一緒にスーパーのカートを押して歩く、というのは自分と母にとってすごく日常的な光景だったのです。だからすごく平穏な夢でした。

それから目を覚ましてしまったのですが、あぁもっと見たかったなと思って二度寝をしたら、なんと続きが見れたのです。今度は家に帰ってきていて、自宅でお母さんが久しぶりに帰ってきた自室を見て回っているような夢でした。

そこで母は自分の机の引き出しを開けて、未処理の書類(自分の死に関する物)を出して「これもやっておかないとね」なんて話していて、私も「そうだね」とうなずいていたので、「母が死んでいる前提で、二人共それを理解しながら、久しぶりに会えたのを喜んで話していた」という夢でした。

で、すごいのは更にここからで、そんな夢を見たという話を妹にしたところ、ここのところずっとお母さんの夢が見れていないと話して。

でも、なんと次の日、私から話を聞いたその日の夜に見たと言ってきました。

夢は二つ見たけど一つ目は覚えていなくて、次に見た夢が「一緒にサッカー観戦に行った夢」だったのだそうです。

母が元気でコロナがまだなかった頃はホームゲームはほぼ全て見に行くというファンっぷりの二人で、それが日常でしたから、まるで叶えるみたいにそんな夢を見ていて驚いて。

こんなのあまりにもスピリチュアルが過ぎていて、少し前の自分だったら聞き流しているような話なのですが……今では何か意味があったんじゃないかと思ってしまいます。

実はこの直前に「ガス検知器が点滅を始める(変更時期は来てたけどそれまで点滅はしてなかった)」「洗面台の電気が切れる(ただ単に切れただけっぽい)」「テレビ録画用HDDが読み込まなくなる(その後何故か直る)」「パソコンモニターが勝手にチャンネルを変える(耐久年数オーバー?)」というのがまとめて起こっていたので、不思議な気分でした。

あとは母の49日の直後、日常がつらすぎると母のスケジュール帳に日記を書いて、その次の日だかの抽選に応募していたPS5が当選する、なんてこともありました。発売からずっと応募して全部外れていたのがここでかぁと思いましたね……。

スピリチュアルブログにしたいわけではないのですが、死んだ大切な人の話を書くとこうなってしまいますね。ご容赦くださいませ。

ともあれ、私自身は寝て起きて食べて遊んでちょっとお金作って買い物行って遊んで、というローテでいる限りはそこそこに落ち着いていけそうです。

心配なのは少し前についにうつ病診断をもらった妹です。仕事を長期で休んで、羊毛フェルトをしたり散歩に行ったりと、見た目には良くなってきている気はするのですが、内面はわかりませんからね。

結局どうにもならないことなので、あとは今後の人生で自分を脅かすものが無い限りは「余生」を過ごそうという気持ちです。ぼちぼち創作活動なんかも再開したいと思えるようにもなってきました。

手始めに、なろうの方でお母さんの居場所を想って書いた話もあげてみたりしています。

ただ、今は平穏ですが怖いのはこれから来る記念日なんかですね……誕生日にお正月、クリスマスとかそういうのが来るたびに思い出が戻ってきて辛くなるんだろうなぁ。