すっかり生きてませんが、自由に生きるべきだと思いました
- 2021.10.19
- おおふじについて
お久しぶりになります。すっかり更新できておらず、気持ち的には更新したくても、いよいよ考えることがなくなっていることを実感しています。
というのも、生きづらさを感じて立てたブログだったのですが、裏返せば生きたい気持ちというか、裏返さなくても自分らしく生きることについて少しでもなにか表せれば、なんて感じのブログだったのですが…。
母の死から、時薬が効いてきてそこそこ平穏に暮らせるようにはなったのですが、「待っていればいつか帰ってくるということが無い」という事をようやく実感してきたのか、そこにある寂しさや悲しさで生き方について考える頻度が多分ほぼ0というか、言ってしまえば痛くも苦しくもなくてあればそれもそれでありだな、とか、それでいてできれば英雄的ならいいな、とか、そんな方向の妄想のほうが頻度が高くなっています。
で、ようやくこのブログに合うかなという話で絞り出したのは、今書いたばかりですが生きづらさを感じるって生きたいってことなんですよね。今まで全然その辺りを考えていませんでした。生き方を考えなくなる、という現象も実感中です。
こうして自分の中の心とか魂に近い人がいなくなることで、自分自身も死んだような感覚を実感するというか。
で、やっぱり結論付けられるのは「好きに生きるべき」という話でした。
私自身も今は好きな事に助けられて生きている、というのはそうで、精神的なt助けになっていることも理由の一つですが、現実問題として普通に「好きなことじゃ経済活動に結びつかない」から生きられないという人でも、日本では生活保護という手段もあります。
やっぱり世間体で生きるのはもったいな気がするんですよね。INFの民は傾向が強いほど嫌なことは嫌だと思う方なので、そこに乗って大舵切ってもという気もするし。
でも良い環境で働けるならそれに越したことはないのか。私は一人でなんとか生活出来るようになっていたのは幸いでしたが、時には気を使ってくれる人の存在も必要な気もするし、ですね。結局どっちつかずになってしまいましたが、生存報告的にブログの更新をしておきたかったので、ひとまずですね。
なにか更新の方法を考えたいところですね……
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