備忘録的幸せ論(無宗教)
突然ですが私、おおふじの幸せ論についてです。
これを信じれば幸せ、という話ではなく、自分が少しでも幸せに、穏やかに過ごせたらという意味での幸せについてです。
INFに関係あるかな?という気もしますが、過去に書いた「良い人戦略で生きてく」という部分と、同時に「独りよがりでいい」みたいなことを書いたと思うので、そこにも合致していく話だと思いますので、ということで。
いやしかし、幸せを今語るとはだいぶ回復しました。ひとえにとある方の心の看病のおかげです。

ではでは、まず幸せについての部分から。
・ここでの幸せの定義
色々と何が幸せか、というのは人によってそれぞれだと思います。
お金がいっぱいある、色んな人に認められる、好きな人と結ばれるなどなど…
要は自分の欲求が満ちた時が幸せというのはありますが、ここではもう少し小さな幸せを題材にします。
すなわち、毎日ニコニコ過ごせれば幸せ、という話です。多分そんなにお金が無くても誰かに認められなくても、片思いして好きな人にそっぽ向かれてる時でも可能な範囲なのではなかろうかと思うのです。
・そのために必要なもの
もの扱いするという意味ではありませんが便宜的に。
1.誰か
話の通じる誰かです。人によっては結構難しいかもしれませんが、多分ネットの向こうの顔の知らない誰かでも可能です。僕はある意味その形で助けられました。
2.自分の余力
結構大事。疲れてたら(ここでいう)幸せになれないと思ってます。
3.弱さを覚悟に変えること
一番大事かもしれない。
・他人に優しくする
本題の一つかもしれません。
情けは人の為ならず、という言葉があります。人に情をかけてもその人のためにならないからやめとこう、という誤用もありますが、本来の意味としての「人にやさしくすると巡り巡って自分に返ってくる」がしっくり来ます。
が、僕はここをもう少し噛み砕きまして、こう思ってます。
「善行は全部自分のためにしてる」
これくらいわかりやすく解釈すると、僕は幸せに近くなると思うのです。
ゲスっぽいですか?でも副次的な効果もあります。こう思っておくと「世の中の善行とされるものの裏が見えやすい」という部分です。(ここでは置いときます)
・人間をずっと弱く見積もる
INFの方はそこそこ「自分の弱さ」というものにピンとくるものがあると思います。
人は流されやすいし、欲もあります。無力を感じると躍起になって変なことをしたり、空回ったり。自分もそうなんだから他人もそうです。
で、弱いと黒い部分も出てきます。誰だって嘘を付いているし、自分をよく見られたいと思うだろうし、本当の姿を見えないように繕っている人もいるでしょう。

弱くて当たり前です。
ただ、「自分は弱い」で止まってしまうと卑屈になって幸せ論から遠ざかります。ので、「けど相手も弱い」をつけた上で、ここにある言葉を付け加えます。

付け加えるのはこれじゃないよ
・弱いからこそ「善行を自分のためにする」覚悟がいる
僕の幸せ論に「いやいや」と思う人もいると思います。
でも善良な気持ちで募金するにしたって企業さんの使い道を確認して、確かにそれに使われたかなんて基本的にもわからないわけで、「募金した自分が気持ちがいい」は確かにあるわけです。
見返りを求めずに困っているおばあちゃんを助けても、「よく思われると良いな」とか「自分の気持ちが救われる」とか、それをした自分が気持ちがいいもんです。
じゃあそれを感じちゃいけないかっていうと、全然そうじゃないと思うんですよ。
(まぁ募金の話に関しては最近色々あったそうですが、それはイレギュラーとして…)
他人から偽善だの八方美人だの思われようが「やった人は偉い」は確かにあるんです。やらない善よりやる偽善って言葉もあります。名言風に伝わるのがとても馬鹿っぽいと思う普通の言葉です。
ここは感じるべきだと思うのですよね。「偽善だと思われようがやりたいからやった」という善行は、もっと自分を気持ちよくしてくれると思います。多分ココまで来ると見返りも求めないです。なんならこの考えだとそこそこ爽快感あります。
僕は「他人のために善行をする」は、申し訳ないけどあまり幸せじゃない行為だと思っています。
・でも「他人に」善行をする。余力で
ここで「余力」の話が出てきます。
他人に優しくするとか、自分が幸せになるためにはなんにせよ「余力」でやるべきだと思ってます。(仕事でする人など一部は別です)
忘れがちなことがあって、自分が幸せじゃないと他人を幸せに出来ないんですよね。
自分のMPがない状態でホイミなりケアルなり唱えても1ターン無駄になるだけなのです。

だから「身を粉にして他人に善行する」は推奨できません。
それをしてしまうと悪循環になるんですよね。
自分が疲れる→上手に優しく出来ない→相手も疲れる→悪感情は人の為ならずになって戻ってくる→もっと疲れる→無限ループ
でも幸せの一番近道って「周りが笑顔でいること」だと思うんです。
だから周りを笑顔にするんです。自分が疲れちゃ出来ない。
なので、先程投げっぱなしにした言葉
「自分は弱い、けど相手も弱い」に一言付け加えて
「だから助けるから助けて!」
おぉー、INFっぽい言葉が使えたと自分で感動しました。本当は言葉なんて考えていなかったので、即興でよく思いつきました。
でもそこそこ良いチョイスです。助けてばかりじゃ身が持たない。
この関係にならないと幸せは遠くなると思います。自分だけが割を食うのは幸せじゃない。
・幸せとお金
ちょっと脇道にそれますが、お金も幸せに繋がります。
持ってれば幸せ…はその通りなのですが、大金の話ではなく、少額で十分な話です。
自分のために使うお金はもちろん幸せになりますが、少し使えるお金があるときに自分の幸せに寄与しそうな人にお金を使うと、巡り巡って自分が幸せになるんです。たとえジュース一本でも、ありがとうと言って受け取ってもらえるだけで嬉しい。Win-Winというやつです。
ちなみにどこかの大学でそういう研究もされてたのを聞いたことがあります。年に一度のビッグプレゼントより、毎日のコーヒーの方が幸せとかもここに含まれる話かな。
だから僕は「お金の余力」は自分一人のためという事にほとんど使いません。稼ぎでもらえるお金ではなく、いわゆる「ポイント」の話ですね。還元できるものは誰か近い人と共有できるようなものに変換しています。一緒に食べれるものとか、一緒に遊べるものとか。
それでありがとうと言われたり、楽しい時間を過ごせるなら願ったり叶ったりですよね。もともと生活の勘定に入れてないものですので、これも「余ったもの」で幸せな気分に交換しています。
自分のお金で、となると、釣り合いを感じなくなったときにどこかで破綻や行き違いが来そうな気もするのですよね。
・この幸せには覚悟がいるッ

周りの人間を幸せにすると自分が幸せになります。
でもその前提として自分に余裕がないといけない。
その余裕を、他人のために使うという気持ちも必要です。
頑張らないといけないんですよね。でも頑張りすぎるとやっぱり自分が疲れてしまう。
なので余力でする。余力を作るためにある程度努力もする。
誰かのために自分が頑張る。少し疲れるとしても、それでもっと幸せになれるならやってしまうのもアリ。悪循環になりそうなら退避してしまう。
なんせ弱いですから。弱さを認めないと出来ません。認めるも覚悟です。

プレイヤーに与えてくれる
・難しいですか?
人の弱さを認めようという話をすると、今度はもう一つ弱さの余地が出てくるんですよね。
「弱さを認められない弱さ」があること。

本当は弱いけど、でもそれを隠していないといけない。
見せられない、出せない。
そうなるとこの幸せ論は当てはめられないのか?という話になります。
多分正直に言うと、弱くても良いと思えたのは「運が良かったから」だと思います。
そうじゃない人も世の中たくさんいるはず。
そんな人にはちょっと酷い話なのかなとも思います。けど考え方の一つとしては芯のある話ではなかろうかとも。
もし「弱くいられない」という人がいても、正直言って僕の経験値ではその人にかける言葉が見つからず。きっと大変な人生を歩んでいると思います。
でももしどこかで実践する機会があれば、ちょっと思い出してくれたらとは思います。
まぁ程度の小さい話ですので、こんな長文にすることもなかったかもしれませんが、とても久しぶりにエッセイ的な物になりました。
・おわり
母の死から2年。こういうのがかけるようになったのは大きな進歩ですね。
こうした回復も、実はこのブログを通じて連絡をくださった一人の方のお陰があるのです。極論自分が気持ちよくなるために書き始めたブログですが、これを読んでくれた人がいて、それでメッセージをくれた人がいて、その人が僕の死にそうだった心を助けてくれました。
ほら、情けは人の為ならず…「善行は全て自分のためにしてる」実践編です。
もちろんこれを読んだところで何も変わらない人も多いと思います。僕は本当に運が良かっただけだと思っています。
でもまぁ、自分がもっと気持ちよくなるために書いてるブログです。
誰かが読んで、一つでもうなずいてくれることがあればもうそれで幸せです。
小さい幸せと思うかもしれませんが、これが結構穏やかになれるのです。
ではでは、次の記事までまた長い時間が開くと思いますが…笑
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